松下一也くんが旅立ってから7回めの夏です。

あの夏も暑かった! そして今年も。でもあの夏みたいに、急に涼しくなりました。
今年はほんとに日本にはいろいろあって、何一つ...終わった訳では無いから、一也くんもさぞ心配してるのでは無いかな...。優しい人だから東北地方をどれだけ案じているか...。

7回め.....。ちょっぴりの回想を。

2004年、アルバム『bay area kids』のレコーディングが、4月と5月の2回に分けて行われました。
4月に録音したのは、『bay area kids』とわたしが書いた『サマー・ムーン』。(ほんとに...嬉しい)
その時は、ちょっと一也くん、疲れてるかな...?仕事忙しそうだもんな、と感じたの覚えてます。

その後電話をもらい「ちょっと大変なことになっちゃって...」「どうしたの〜?」「実は食道癌になっちゃって....」「..........」そして5月入院...だから残りの曲はすべてキーボードレスで録音...。ちょっぴりだけわたしがシンセを入れました。曲が仕上がるたびに病院に持っていきました。


彼は、入院して1週間くらいゆっくり休んでよく眠ってとても体調が良さそうでした。変な言い方だけど。
でもその後手術してからはずっと.....亡くなるまでの3ヶ月、ほんとに辛かったと思います.....。
でも、亡くなる2〜3日前、奥様が「検査の結果一也の身体から癌細胞が消えたの!!」と嬉しい! 報告を受けて、その日はふたりで祝杯をあげた...。だから、22日の早朝の彼女からのメール「大変」の一言...危篤を聞いたときは、まったく信じられなかったです。

葬儀場の都合で、亡くなってから1週間くらいご自宅にいれて。ずっと棺で穏やかに眠ってるみたいでしたね。連日夜になるといろんな仲間が集まって、一也くんのそばで献杯!! していたと..。

お通夜の夜、KTSBで集まれたのは角田くん、二三男くん、わたしの3人。帰りに葬儀場から車で3分くらいのバーミアンを見つけて喪服のまま3人で夕食...というか休みました。
なんか食べたのか何しゃべったのか、とか、なんだか良く覚えてませんが、3人で何だかぼ〜っと過ごしてた。自分で唯一覚えてる会話は「なんか甘いもの食べていいかな」「いいよ」。
猛暑一転、肌寒い夜。絶対忘れられない夜。
わたしのアルバム『セツナイ夜ガアルカラ」の「We miss you~dear K~」はまさしくあの夜。だから、未だにあまり聞けないな。

翌日の告別式は冷たい雨。多くの..ほんとに多くの仲間たちが集まりました。


未だに....いえ、永遠に変わらない想い。
ほんとに素敵な人でした! (^^) ピアノはもちろん人柄も.....!
今、奥様も子供たちもみんな元気に過ごしていらっしゃる....一也くんがしっかりと守っているのだろうな。
(^^#
わたしの音楽専用macを立ち上げると、チェックのシャツを着て、熱くピアノに向かって弾いている一也くんの写真が。あの10年ものmacが壊れないのは、一也くんが守ってくれてるんでないだろうか...、なんて一人で感謝しているわたしです。

久しぶりに夢で会いたいです。..........一也くん、ほんとに久しぶりに、.....お待ちしてます!